Hiroki Mafuyu Blog

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2007年 02月 25日

合田佐和子展

京橋の'ギャラリー椿'で合田佐和子展を観た_

原画を観るのは2003年渋谷区松濤美術館以来のこと

幾つかの打ち合わせが重なった週末
それでも会期初日の絵が観たくて移動時間をやりくりして画廊に足を運んだ

つかの間の邂逅
高潔な美しさの前ではひたすら無垢であることを強いられる
洗われるような思いで画廊を後にした

慌ただしい日常の断片
灰色の雑踏すらが輝き始める
美しいものはこちらの何を変えるのだろう


会期中にもう一度ゆっくり画廊を訪ねてみようと思っている



ギャラリー椿 web site
http://www.gallery-tsubaki.jp/exhibit.html
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by hirokimafuyu | 2007-02-25 15:26 | POP ART
2007年 02月 19日

心の炉_

17日_学生の卒業・進級展に行く

作品講評に追われ
気がついたら終了時間の5:30になっていた

昨秋から取り組んだ難易度の高い課題を乗り越えた者の作品を観ることは楽しい
学生とはいえ修羅場を抜けた作品には清々しい風格のようなものが漂っているからだ

絵を描く行為はつくづく孤独で地味な作業と思う
心の炉に火をともし
それを護りながら寄せてくる懐疑と不安の波を乗り越えなくてはならない

これが音楽であればLIVEの観客の前でカタルシスを得ることも出来るだろう
しかし絵ではそうもいかない
イベント的なライブ・ペインティングというやり方もあるが
それにしても終わった後も永く観賞に堪えられる作品を創るのは容易なことではないだろう

その意味ではプロもアマも変わらないのだ
そこから逃げれば限りなく予定調和なオタク作が生まれることになる

私は立場や技術に関わらず孤独を越えて社会に斬り込んでいく作品を観たいと願う


もちろん自分もそうありたいと思う
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by hirokimafuyu | 2007-02-19 00:29 | 雑記
2007年 02月 16日

Oval_

今日はAmbient系のテクノばかり聴きながら仕事をしている

頭の中で鳴り続けている唄があって
あえて今はインストメンタルを選んでいる

そしてOvalの魅力を再発見_

クールな電子音がたまらなく心地良い
http://www.youtube.com/watch?v=cj3OFvrcoQA


轟音のLIVE会場で静寂を知ることがあれば
TVから洩れた情緒過多のSEに暴力を感じることもある

音楽は不思議で素敵だ_
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by hirokimafuyu | 2007-02-16 15:28 | 音楽
2007年 02月 14日

rewrite_

数日かけて描いた絵が気に入らず
書き直すことにした
上手く行かずどうするか悩んでいる時は苦しいが
決断を下した後はすがすがしい思いがする

失敗する時は決まって余計な力が入りすぎた時だ

もっと無我の中で絵を描きたい_
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by hirokimafuyu | 2007-02-14 04:04 | POP ART
2007年 02月 10日

All Apologies_

久しぶりに国立駅前のDISK UNIONまでCDを買いに行く

私の家から駅まで歩いて20分ほど
散歩にはちょうど良い距離だが 歩き始めて10分でジャケットを脱いだ
これは2月の陽気ではない
今から夏の酷暑が思いやられる
本当に地球の気候はどうなっているのだろうか


購入したのはNIRVANAの「UNPLUGGED LIVE IN NEW YORK」中古盤
例のMTV公開放送の時のもの
訳あって収録の'About A Girl'と'All Apologies'のギター・パートをカバーすることになったからだ

で 今その2曲を聴きながら仕事をしている
NIRVANAのギター・チューニングが半音下げであることは今日初めて知った
'All Apologies'は「IN UTERO」に収録された時から好きな曲だが
歌詞がその後のカート・コバーンを暗示しているようで悲しい

 こんな人間じゃなくて
 どんな人間になればいいのか
 本当に悪かったね_


カートの歌声は暗く孤独で
でもとても美しい
http://www.youtube.com/watch?v=VFSb3xXA-3E&mode=related&search=



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by hirokimafuyu | 2007-02-10 22:24 | 音楽
2007年 02月 07日

遠藤ミチロウのマリアンヌ

「地球屋 」で遠藤ミチロウを観た_

ギター一本のアコースティック・ライブ
FORKでもROCKでもPUNKでもあり そのどれでもない音楽
ミチロウは早川義夫から始まった文学情念型とも言える日本語ROCKの継承者だ
LOU REEDやDAVID BOWIEを聴いていると
「英語圏の人間になってこの歌を聞いてみたい」というジレンマにかられるが
ミチロウや早川義夫を聴くとそれも和らぐ

スターリン時代から最新のものまで 新旧の唄が歌われて行く
ささやきから絶叫まで
どれだけ激しくギターを掻き鳴らしたとしても彼独特の素朴で知的な空間が壊れることはない
50人ほどの観客がその光景を固唾を呑んで見守っている
約二時間の独演はあっという間に過ぎて行った_

ラストの曲を告げようとした時
客席から「マリアンヌを演ってください、、、」とリクエストがかかった
「・・・ 」
「早川さんのマリアンヌです。クラブチッタ以来なんです、、、。」

ミチロウは少し間を作りギターを弾き始めた
激しいノイズを演出し咆哮のような声を震わせる
その震える音像が音楽に変わり「マリアンヌ」に繋がった時がこの日の頂点だった

 嵐の晩が好きさ、、、

くぐもった声で歌い始めるミチロウ
私は歌詞を聞き逃さないように思わず身を固くする


早川義夫の「マリアンヌ」を初めて聴いたのは10代の時 
感度の悪いAMラジオから流れてきたこの歌に強い衝撃を受けた
FORKでもROCKでも演歌でもない情念の唄
「こんな強い唄があったんだ、、、」深夜ペンを握りながら茫然としていた


ミチロウは感情を抑制しながら淡々と「マリアンヌ」を唄う
私は音楽のみならず絵と漫画においてもこの曲に強く影響されていたことを改めて感じた

'70年代イギリスのPUNK ROCK_SEX PISTOLSをデザインしたヴィヴィアン・ウエストウッドが
'90年代半ば「もう過激なファッションを作る気はないのか」と聞かれ
「今、過激であるということは、エレガントであることです。」と言い放ったのを思い出す

それからさらに10年


ミチロウが次の答えの入り口を見せてくれたような気がした_



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by hirokimafuyu | 2007-02-07 03:01 | LIVE REPORT
2007年 02月 04日

Metaphor

イタリアがサッカーを巡り騒然としている

例のシチリア島のカターニアで行われた試合の暴動とその後の警官死亡によるものだが
セリエAの今期打ち切りの可能性もあるとのこと
http://www.excite.co.jp/News/sports/20070204061203/Sponichi_kfuln20070204002001.html

あらゆるスポーツは「暴力」or「SEX」のメタファーとも言われる
本能の代償行為だからこそ人々は興奮するのだろう
確かにサッカーにはその両方が含まれている

ヨーロッパのチャンピョンズ・リーグは隣り合う国々の戦争抑止力に繋がっているとの話を聞く

それも分かる気がする

ならば元の「戦争」についてどうしても考えてしまう
一人の警官の死でこれだけの動きと報道があるとすれば
対立の果てに日常的に何人もの死者を出している地域に対してあまりに鈍すぎるのではないだろうか

「サッカーは日常」で「戦争は日常でない」経済大国だからこその恩恵ということなのだろうが
その矛盾が放置され続けることで大切な何かを壊していないだろうか


子供達は全てを見ているんだ_



p.s. 2007年 02月 04日 pm10:15 更新
セリエA再開_
http://www.excite.co.jp/News/sports/20070205061202/Sponichi_kfuln20070205002003.html

結局一日で「スポーツらしい」落としどころを見つけた模様
多大な損失を伴う打ち切りを出来るものなのかと思っていたけど
利益が全てに優先するのも戦争と同じだ


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by hirokimafuyu | 2007-02-04 15:49 | SPORTS
2007年 02月 03日

Innocent

2月になった

予定が遅れて焦り気味
気を入れ直している_

講師をする学校では学生達が進級・卒業展の為の制作に追われている
自分を追い込むことで人が変わったような成長を見せる者もいれば 逃げに回る者もいる
ある意味本質が問われる時期なのだろう

伸びる学生を見ていて共通するのは無垢な好奇心と情熱を持っている点だろう

何もかもが過剰な時代に自分を追い込むのは大変なことだ
私の10代から20代にかけてはもっとゆったり時間が流れていた
体力勝負の〆切地獄のような環境にいても疑問やアイディアの断片をずっと暖めることが出来た
形になるまで何年かかったとしても自分の中で得た答えは血肉となり新しい展望に繋がる


今ならば疑問が生まれてもキーワード検索して分かった気になってしまったかも知れない
当然もっともらしい言い訳にもこと欠かない

便利さ故の不幸がある

何かを突き詰めるには一時的にでも外部を断ち切って孤独を引き受ける勇気が必要だろう
それが恐ければいつまでも携帯にしがみついていれば良い_
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by hirokimafuyu | 2007-02-03 02:06 | 雑記